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疲れた日の夕食は、作らなくていい

台所に立たない夜があっても、生活は続く。

夕食が、一日最後の難関になっていないか

仕事でくたくたになって帰る。

そこから献立を考え、買い物をし、作り、食べ、片づける。

夕食は、疲れた一日の最後に現れる、かなり大きな難関だ。

これを毎日フルコースでこなそうとすれば、疲れは溜まる一方になる。

疲れた日の夕食は、作らなくていい。

まずこの許可を、自分に出してほしい。

「ちゃんとした食事=手作り」という思い込み

作らないことに罪悪感が出るのは、「ちゃんとした食事は手作り」という思い込みがあるからだ。

でも、食事の目的は栄養と回復であって、調理の証明ではない。

買ってきた総菜でも、栄養は摂れる。

冷凍餃子でも、お腹は満たされる。

手作りかどうかは、食事の価値を決めない。

疲れているのに無理して作った食事より、買ってきて笑顔で食べる食事のほうが、体にも心にもいいことがある。

手抜きではなく「選択」と呼ぶ

総菜や外食に頼ることを、手抜きと呼ぶのをやめてみる。

代わりに、選択と呼ぶ。

今日は疲れているから、回復を優先して調理を外注する。

これは立派な判断だ。

企業だって、全部を自社でやらず、外注を使って回している。

生活も同じでいい。

自分の体力という経営資源を、どこに使うかの采配だ。

罪悪感を減らす、小さな工夫

それでも罪悪感が残る人には、小さな工夫をすすめたい。

買ってきたものを、お皿に移す。

インスタントの味噌汁に、乾燥わかめを足す。

カット野菜を一袋添える。

ほんの一手間で、「やることはやった」という感覚が生まれる。

全部やるか、全部やらないかの二択にしない。

一割だけやる、という中間があっていい。

「作りたい日」のために、休む

誤解のないように書いておくと、料理が好きな人から料理を取り上げたいわけではない。

作る行為が癒しになる日は、確かにある。

問題は、義務としての自炊が、癒しの余力まで奪うことだ。

疲れた日に外注して体力を残しておけば、余裕のある日に「作りたくて作る」料理を楽しめる。

義務の自炊を減らすことは、好きな料理を守ることでもある。

食は、義務ではなく楽しみの側に置いておきたい。

一人の夕食を、少しだけ整える

一人の夕食は、どうしても雑になりやすい。

鍋のまま、パックのまま、立ったまま。

全部を直さなくていいが、一つだけ整えると食事の満足度が変わる。

お茶を淹れる。

お箸だけちゃんとしたものを使う。

照明を一段落とす。

どれか一つで、「ながら摂取」が「食事の時間」に変わる。

自分のための食卓を、一手間だけ、大事に扱ってみてほしい。

よくある質問

Q. 総菜や外食が続くと、栄養が心配です。

A. 選び方で十分カバーできる。総菜なら「主菜+野菜の副菜」の組み合わせ、コンビニならサラダチキンと野菜スープを足す。完璧な栄養より「大きく欠けない」程度で、日常は十分回る。

Q. 作らない日の出費が気になります。

A. 疲労時の自炊には、食材ロスや作りすぎという隠れコストもある。週の予算に「外注日2回分」を組み込んでしまえば、罪悪感なく使える。体力の回復まで含めれば、収支は悪くないはずだ。

Q. 外食だと、かえって疲れる日もあります。

A. 店選びと時間帯で変わる。混んだ店や会話の必要な店は、疲れた日には向かない。静かな定食屋、カウンター席、持ち帰り。「誰にも気を遣わずに食べられるか」を基準に選ぶと、外食は回復の時間になる。

食卓の目的は、栄養と、ほっとすること

夕食の役割は、栄養補給と、一日の緊張をほどくことだ。

どちらも、手作りでなくても果たせる。

好きなお茶を淹れて、買ってきたお弁当をゆっくり食べる。

それで今日の食卓は合格だ。

作らなかった自分を責めながら食べる夜より、ずっといい。

台所を休ませる夜は、あなたを休ませる夜でもある。

この文章は、レンという一人の人間が書いている。
ここは、21歳以上の女性のための、単発で完結する癒しの時間を用意している場所だ。くわしくはトップページへ。売り込みはしない。読み物だけでも、ゆっくりしていってほしい。