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甘やかすことと、だらけることの違い

違いは行動ではなく、選び方にある。

同じ行動でも、意味が違うことがある

ソファに寝転がって動画を見る。

この行動は、甘やかしにも、だらけにもなり得る。

行動だけを見ても、区別はつかない。

では何が違うのか。

私は「自分で選んだかどうか」だと思っている。

選んで寝転がるのは甘やかし。

流されて寝転がるのは、だらけ。

境界線は、行動の前の一瞬にある。

だらけの後には、後悔が残る

だらけた日の終わりには、独特の気持ち悪さが残る。

休んだはずなのに、回復していない。

むしろ自己嫌悪が増えている。

それは、心のどこかで「本当はやるべきことがある」と思いながら、ずるずる過ごしたからだ。

脳は罪悪感を抱えたまま働き続け、体だけが横になっていた。

これでは休息にならない。

「選ぶ」だけで、休息の質が変わる

一方、選んだ休みは違う。

「今から2時間、私は休む」と決めて寝転がる。

すると同じソファ、同じ動画でも、罪悪感の混入が減る。

決めたことをやっているだけだからだ。

休息の質は、行動の内容より、心の姿勢で決まる部分が大きい。

贅沢なスパに行っても、心が「こんなことしていていいのか」と騒いでいたら回復しない。

コンビニのプリンでも、選んで味わえば回復する。

だらけてしまった日も、責めなくていい

とはいえ、気づいたらだらけていた、という日もある。

それも責めなくていい。

選ぶ余力すらないほど疲れていた、というだけのことだ。

そういう日は、途中からでも切り替えられる。

「ここからの1時間は、休むと決めて休む」。

だらけの途中で宣言し直せば、残りの時間は甘やかしに変わる。

遅めのスタートでも、ゼロよりずっといい。

「選べない日」のためのミニ判定法

選ぶ余力すらない日のために、簡単な判定法を用意しておくといい。

横になる前に、一言だけ自分に聞く。

「これは充電?それとも逃避?」。

充電なら、堂々と休む。

逃避っぽいなら、5分だけ気がかりなことに手をつけてから休む。

5分やれば気が済んで、残りは安心してだらけられることが多い。

完璧な判定でなくていい。

聞く習慣があるだけで、時間の質は変わっていく。

だらけの沼から出る、小さな梯子

どうしてもだらけの沼から出られない日は、梯子を使う。

梯子とは、体を少しだけ動かす小さな行動だ。

顔を洗う。

カーテンを開ける。

コップ一杯の水を飲む。

どれか一つやると、次の行動へのハードルが下がる。

沼から一気に飛び出す必要はない。

一段ずつ、気分が許す分だけ登ればいい。

登り切れない日は、それはそれで、体が休みを求めていたということだ。

よくある質問

Q. 選んで休んだのに、罪悪感が残りました。

A. 宣言が足りなかったのではなく、罪悪感の癖が強いだけだ。宣言→休む→罪悪感が出る→「予定通りの休み」と返す。この一連を繰り返すうちに、罪悪感の登場回数は減っていく。初期は出て当然と思っておくといい。

Q. だらける時間も、たまには必要では?

A. その通りだ。選ぶ元気すらない日は、だらける以外の選択肢がない。だらけたあとに責めるかどうかだけが問題で、「あれは必要な停止だった」と後から意味づけしてやれば、それはもう休息の一種になる。

Q. 休みの宣言を忘れて、気づけば夜になっています。

A. 宣言を「物」に紐づけると忘れにくい。部屋着に着替えたら休みの開始、湯船に浸かったら宣言タイム、など。行動とセットにしておけば、忘れっぽい日でも仕組みが代わりに宣言してくれる。

選ぶ練習が、生活を変える

甘やかしとだらけの違いは、選ぶ練習で身につく。

休む前に一言、自分に宣言する。

それだけの習慣だ。

小さなことだが、続けると生活の手触りが変わってくる。

休みが「後ろめたい時間」から「自分で用意した時間」になる。

その感覚を、ぜひ味わってみてほしい。

この文章は、レンという一人の人間が書いている。
ここは、21歳以上の女性のための、単発で完結する癒しの時間を用意している場所だ。くわしくはトップページへ。売り込みはしない。読み物だけでも、ゆっくりしていってほしい。